錦織圭のことを山際淳司が生きていたらどう書いただろう?

これが答えだ

山際淳司
昨日錦織圭選手の全米オープン決勝進出決定について書いたとき
(→壁を越えるとき

山際淳司の言葉を引用した。

ふと彼のことを思い出したのだ。

それで高校大学の頃書き留めていた名言ノートを手繰ってみたのだ

お亡くなりになって随分経っているので自分の記憶もあやふやなので

ウィキペディアで彼のことを調べてみた(→山際淳司

1995年5月29日、胃癌による肝不全のため、46歳で急逝。『サンデースポーツ』のキャスターを降板した直後のことであった。(ウィキペディアから引用)

当時、『サンデースポーツ』も見ていた。そして彼のあまりにも早い死にビックリしたことを思い出した。

山際淳司の書籍のページへ
彼の書いたものでひとつ未だに記憶に残っているものがある(江夏の21球以外で)

それはジャンボ尾崎について書いたエッセイのようなものだった

これも一部記憶があいまいなのでジャンボ尾崎の公式サイトも見て確認した。

ジャンボ尾崎が1970年にプロゴルファーになってすぐ大活躍した

73年から77年までの5年の内3回賞金王になっている

そこから長期低迷が続いた。

その後88年から98年までの11年回で9回賞金王という黄金時代を迎える。

エッセイはその長期低迷時代のものだったと思うが、

山際淳司はジャンボ尾崎の再起を確信していた。

とにかくとんでもないほどの練習をこなしていていずれ花開くというようなものだったと思う。

本当にその通りになった。

彼が早死にしてからたくさんのスポーツライターが世に出てきたが、

彼の跡を継げるような人は未だ出ていないように思える。

ほとんどのスポーツライターは取材対象のネームヴァリューに依存しすぎているのではないか

山際淳司のように取材対象や映像に頼ることなくスポーツの醍醐味を文章で表現できる者はいない

彼が生きていたら錦織圭選手をどういう切り口で書くのだろうか

また彼の本が読みたくなった

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