「たわいもない話」なんですが、たわいもないとはそもそもドーいう意味なのか
ヤフー知恵袋から拾いました
「たわい」という言葉は、「確かな考え、確かな態度」というような意味の言葉で、多くは「たわいがない」のように否定形で使われています。
例えば、18世紀の初めに書かれた『けいせい手管三味線』という浮世草子には、「釈迦の在世はしらず、天竺も今はたはいあるまじ」などという形で使われており、「たはい」と記されていることから「タワイ」という訓であったことがわかります。
「たあい」は発音しやすいように音が変化した形で、「他愛」はその当て字です。
だそうです。少し頭よくなりました。ありがとう!
彼と知り合ったのは数ヶ月前。友達というわけではない。
ただの知り合いだ。
まあこの彼が他人批判、世の中批判と口から出るのは悪口ばかりなのだ。
それに些細なことでも相手を論破しようとする。
こっちにしたらどーでもいいことなのに議論では相手を負かしにかかる。
一回りちょっと下なので我慢して聞いていたが耐えられなくなってきた。
二人きりになったとき彼が自分のこれまでを話してくれた。
父親からDVを受けていたこと。とにかくことあるごとに殴られたそうだ。
そして空手を習っていたこと。理由は父親を殺すためと真顔で言われた。
そして喧嘩して10代で家を出たこと。
ここまで聞いたら合点がいったというか、彼の生きている証明は全て勝つことなんだ。
負けイコール死ぐらいの感覚なんだと思った。
よろよろと半世紀を超えて生きている身からすると全てに勝つことはできないと悟っているし(1つも勝っちゃいないけど)
、
つまらない議論ならわざと負けても構わないという気がするんだが彼には許されないことなのだろう。
しかしもったいないとも思う。
あのエネルギーをなにか別のものに転化できたならきっと何かすごいことができると思うのに。