東日本大震災から2年が経ちました

地震・防災

東日本大震災から2年が経ちました
東日本大震災から今日で2年が経ちました

今日はきっとテレビでも特集が多く放映されるでしょう

ただ1年、2年と1年の月日を刻む毎に特集が多く組まれるというのはいかにもテレビ的という感じは否めません

被災し未だに不自由な生活を強いられている方々にとっては、3月10日と3月11日の境目は僕らが思うほどないのではないかと思います。生活は日々続くものですから。

ただ3月11日が多くの方の命日であるという事実は間違いないですが。

私は大学の後輩が陸前高田在住というせいか現地の報道があると気になります

私自身震災の2週間後に現地に行きました

上の画像もその時撮ったものです

4階辺りまで津波でぶち抜かれています

あの時見た光景は忘れることが出来ません
高台の土地と市街地の境を海と垂直方向に走る道路の上に看板があって、
そこには「ここが津波が来たときの限界」みたいなことが書いてありました。

私が見た市街地はその看板の何キロも先まで津波で押し流されていました

先日NHKで震災のビッグデータを解析する番組をやっていました。
今は携帯電話のGPS機能と自動車のカーナビの記録から被災した方々がその時どのような行動をとっていたかが明らかになっています

確かその中で陸前高田のデータもでていて、地震後25分くらい避難行動を起こしていなかったことがわかりました

津波はきてもここが限界みたいな看板を常日頃見ていればどうしても遅れてしまうでしょう
あの看板のことを時々想い出す度に心が痛みます

この2年でどれほどの復旧が進んだのでしょうか

テレビで見ているとあの時あった残骸はきれいになっていますが、復旧にはほど遠い感じがします

陸前高田市の「高田地区・今泉地区土地利用計画等説明会」の資料を読みました

それによると8mから10m嵩上げすることで今回と同レベルの津波がきても防波堤は越えるが嵩上げした土地が浸水することはないそうです。

私は陸前高田で家を流された方が市内のどの辺に今お住まいなのか知りません。

資料の年度別整備スケジュールをみると平成30年度までの予定が書かれています。
まだまだ先は長いです

私はこの2年の間、机のデスクライトをつけたままで寝るようになりました。

そして近くが見えにくくなり先日老眼鏡を買いました

そしてほんの少し痩せました

そして子ども達は大学と高校へ進学しました

2年という月日は人の人生を大きく変えるだけの長さがあります

私はみなさまが人生を良い方向に舵をきってゆっくりでも進んでいってくれることを願っています

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