戸田の甲斐信幸さんが亡くなった

カヌー

戸田の甲斐信幸さんが亡くなった

訃報は金子からの電話で知った。

お通夜に金子と2人で行ったのだが斎場は人であふれていた。

ご焼香で並んでいる人が、「俺が死んだってこんなに人は来ないよな」と言ってたけどやはり甲斐さんの人徳だろうな。

とにかく暑い日だった。
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甲斐さんに初めて会ったのは多分高校1年生の冬だと思う。

今年43の俺。あれから27年位時は過ぎた。

秋に初めて多摩川の沢井でカヌーに乗って、冬は漕ぎ込みというわけで本郷の他の奴らと戸田ボート場に通った。

その時の甲斐さんのことは全く覚えていない。

ただ戸田でカヌー漕ぐのに甲斐さん・畑さんにあいさつしないで漕ぐことはありえないのでこの時が初対面だと思う。
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話をするようになったのは高校3年の夏だ。

この時は国体にレーシングカナディアンで出場するため、夏休みの間毎日戸田ボート場に通った。

当時は埼京線は無く、西川口?からバスで戸田に通っていた。

今でも覚えているのは戸田で初めてカナディアンを乗るときに、甲斐さんが見本を見せてくれたことだ。

とにかく沈しないようにバランスをとるのが第一で、半周するころには右膝に血が通わなくなり、散々のデビューだったと思う。

その時の甲斐さんの印象は とにかくあの風貌だから 怖そう。怒られたくないな。というものだった。

夏の終わりに甲斐さんに言われたことは今でも覚えている。

「おまえ、もう少しいい加減な奴かと思ってたけどそれほどでもないな」

誉め言葉と今でも思っている。
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その後は以前ほどカヌーに乗る機会が減った関係でお会いするのは数年に1度という感じだった。

最期にお会いしたのが4年前の埼玉国体が開催された長瀞だった。

その時もいつもと変わらず、「今度、戸田に顔出せよ」

「甲斐さん 今度めし食いましょう」

結局 実現しないで終わってしまった。
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甲斐さんはあの風貌にもかかわらず穏やかな人だった。

俺に対する接し方も10代の時も30後半の時も全く変わらない人だった。

威張り散らすこともなく、大声を張り上げることもなく・・・

お通夜の時はただただ暑く、あまりに突然な知らせだったのでこの世から居なくなった

実感はあまりなかったけど、今は本当に悲しい。

53なんて若すぎるぜ。

書いてて思い出した。

高校3年の夏、国体前に奈良でジュニア選手権があった。

その時の東京の監督が、 「甲斐さんの別名はロケットダッシュの甲斐。多分今でも100m競争だったら日本一だろう」と。

合掌

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