一本桜と岩手山 (A cherry tree and Mt. Iwate) / cyber0515
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陸前高田レポート その1
金曜日の23時近くに松戸を出発して陸前高田に行ってきた。帰宅は本日午前1時半。東北道が開通したので一関までトラックではなく小型乗用車で。
途中チェーン規制。降雪。まだまだ寒い東北。道路も応急処置のため「段差あり」の看板多数。渋滞なし。
陸前高田レポート その2
一関インターを降りるとイオンショッピングセンターの大きな看板が壊れていた・「ここまで影響が・・」と思ったがその他地震の影響は全く一関市街地では感じられない。
帰りにもう一度通ったらクレーン車使って修理していた。ガソリンスタンド長い列どこも1キロはあった
陸前高田レポート その3
燃料不足はかなり深刻のようだ。携行缶で15L持って行ってよかった。念のため長い列に加わったが全く動かないので諦める。セブンイレブン品物全くなし。
つい先日の首都圏のようだ。雪チラチラ。気温1度。国道284号を気仙沼方面に進む。他の道は峠がありそうなので。
陸前高田レポート その4
国道284号(気仙沼街道)を東に進む。街道沿いの家々を注意深く見るが全く壊れていない。壊れそうな廃屋がいくつかあったがそれも壊れていない。
本当に大きな地震があったのか信じられなくなる。街道沿いのガソリンスタンドは長い列。最後尾は給油できるのか?
陸前高田レポート その5
国道284号から45号を宮古方面へ左折。気仙沼市街には入らない。信号が止まってる。その後、衝撃の光景を目にする。破壊されつくした家々。
川の上流でひっくり返っている船。とにかくがれきの山が続く。言葉を無くす。
陸前高田レポート その6
涙もろい俺と違って弟は泣かない。最後に泣き顔を見たのは父親が死んだ20数年前だろう。その弟が運転しながらポロポロ泣いている。
車内は沈黙のままクルマはゆっくりと進む。
陸前高田レポート その7
よく見ると不思議な事に気付く。国道45号は途中から海岸線を進む。その右側(海側)の家でも海抜数十mあるような家は外見からは被害を確認できないことだ。
左側(山側)でも相当高いところに位置する家は同様に壊れていない。全ては津波が壊したのか?地震ではなくて?
陸前高田レポート その8
今、地図を見ながら確認すると45号線を行ったのは危険だった。現地情報をもっていれば通っては行けない道だったと思う。ここから迷走が始まる。
陸前高田レポート その9
陸前高田への現在の最適なアクセス方法は一関インターから県道19号をげいびけい方面へ行って国道343号で行くのが良いだろう。
45号だと橋が2つ落ちていて土地勘ないど私たちのように迷走しそうだ
陸前高田レポート その10
国道45号から陸前高田に入るには気仙川を渡らなければならない。気仙川に近付くと辺りは全て流されてがれきの山だった。
市街地も全て見える。何もないから。全てが流されている。橋も見あたらない。橋どころか道路だってよくわからない。
陸前高田レポート その11
自衛隊の方ががれきを片付けてくれて道幅は狭いが道はある。当然舗装はされていない。これは海水なのか雨水なのかわからないけどどこまでも続くドロの道。
一度クルマを止めて気仙川に近付いてみた。橋があったと思われるところに家が突き刺さっていた。
陸前高田レポート その12
相当上流まで行かないと渡れそうもないことを知る。こうなると自力でというより、よそのクルマの後について行こうと。
仮設トイレを運んでいるトラックの後をつける。途中でトラックは立ち往生。この道はトラックでは無理だった。途中かなりの傾斜あり。
陸前高田レポート その13
結局4キロほど上流の343号線に合流して橋を渡る。やっと陸前高田市に入った。ちなみにうちの乗用車にカーナビはない。
目の前にはがれきの山。避難所としてテレビ中継している第一中学を過ぎるとまた道がわからなくなる。目視でクルマが走っているところを見つけ…
陸前高田レポート その14
どの道が通行可能かよくわからない。そもそも地図上の道が今ほとんど存在していない。道はある。がれきをどかしてくれたお陰で。
ただ距離感がわからないので後輩の家がどのあたりなのか、どこを通ればいいのかよくわからない。
陸前高田レポート その15
さまよっていたんで様々な光景を目にした。首都圏ナンバーの車の近くで泣きながら抱き合う人たち。
そこは家の基礎だけ残して更地になった場所だった。捜し物をしている人たち。捜し物は見つかったんだろうか。
陸前高田レポート その16
家の形だけが流れ着いたその壁には、「壊さないで」の赤い文字。家のあった場所にはたくさん立て看板があった。
書かれている内容はそのに住んでいた家族の安否情報と居場所。
陸前高田レポート その17
がれきを片付けてる作業員の方々、じっとがれきの外でユンボを見つめてる。車が通っても振り向かない。
車を確認しても動かない。これは僕がすごく印象に残った光景だ。
陸前高田レポート その18
フェースブックに震災15日後の陸前高田の写真をアップしました。
陸前高田レポート その19
カメラは建物しか写していません。人に焦点を当てることはできなかった。私には帰ればありふれたに日常があります。
この地の人たちにも津波が襲ってくるまできっと平凡な日々の営みがあったことでしょう。その当たり前のものをまた手に入れるのにどれだけの時間がかかるか
陸前高田レポート その20
今日から一ノ関ー陸前高田のバスが運行開始と後輩の親戚の方から連絡が有りました。
東北新幹線も4月末には全線開通予定。また近くなりますね
陸前高田レポート その21
後輩の妹さんから今連絡が有り、松峰地区の電気が復旧したそうです。よかった!
陸前高田レポート その22
7万本の内1本残った「希望の松」 陸前高田市の高田松原
陸前高田レポート その23
(3月26日の話)やっとのことで避難所に辿り着く。後輩の行方を聞いたら、おじさんが亡くなって家族で火葬場に行っているとのこと。
2時間近く帰りを待っていたらご両親が帰ってきた。当日の話を聞く。家は外見全く問題なし。電気・水道が止まっていてガスはプロ…
陸前高田レポート その24
(3月26日の話)地震での直接の被害は少なかったようだ。食器棚の中身も被害なし。
お父様は避難所になっている公民館の館長をやっているので今日火葬場に行くので午前中留守にした以外は避難所にいる。
昨日2週間ぶりに自衛隊の方が設営知れくれた風呂に入ったそうだ
陸前高田レポート その25
(3月26日の話)新聞配達がやっと避難所にまとめて来るようになった。
それまでテレビが見られない・新聞読めないから情報が全く分からなかったそうだ。
小高い自宅の庭からは壊滅状態の市街地が見える。避難所には3月11日に102人を収容。現在は30人
陸前高田レポート その26
(3月26日の話)そうこう話しているうちに後輩が帰ってきた。
ここに辿り着いた直後に会っていたらうるっときたかもしれないがご両親の話を聞いて落ち着いたのか泣かなかった。
本人は本当にビックリしていたようだ。そりゃそうだよな。連絡しないで行ってるんだから
陸前高田レポート その27
(3月26日の話)彼は教育委員会で早朝から夜遅くまでずっと働いている。今日が震災後初めて休んだそうだ。
市街地の全景を初めて見たと言っていた。地域のために頑張ってるんだな。熱い男だから。後は私的なことなのでこの辺で