大学今昔物語

これが答えだ

東洋大学
息子が大学に入学した

私の母校である東洋大学だ

息子であり、後輩になったのだ

学部も同じ。学科は違う。

私が入学したのは30年以上前だから現在とは随分違う。

私の入学の頃は1、2年生は朝霞(東武東上線または武蔵野線)でホームから遙か向こうに看板が見えた

駅からは遠いし電車は当時昼間は1時間2本くらいしかなかった(武蔵野線)

今は4年間都営三田線白山駅である。

バブル崩壊簿に近隣を買い増し4年間白山を実現したらしい

大学の志望動機も大きく異なる

私は高校が巣鴨駅近くだったので日東駒専のなかだと一番親近感がある(三田線で1本だし)

息子は出来たら大学受験せずに高校生活を謳歌したいという不純な動機もあり(且つ共学志望)私が探し出した。

大学附属高校ってほとんど大学よりも高校の方が入るの大変だがここは逆でかなり楽だった

あとは校内の成績だけ気にしていればいいだけだからここはいまでも穴場ではないかと思ってる

塾の先生が親を集めたセミナーで、「この高校はおいしい」みたいな話をしたときは「それは言うな」を叫びたくなるほどだった(これについては自分がよく知っている。大学は行ってここを卒業した中学の同級生にあったとき結構落ち込んだから)

けど、志望者はそれほどいなかった。

付属から上がると一番格差を感じるのは英語の授業だ

やはり受験組とは格段の差がある

今はトーイックの点数で英語のクラス分けされているそうだ(当然息子は下位クラス)

入学してまだ数日だが楽しそうにしているので何よりです

昨日履修届をパソコンで提出した(私の時代じゃあり得ないな。あの頃パソコン持っている者もほとんどいなかった)

私の入学した頃は持っていてもワープロ(書院とか東芝のルポとか)ばかりだった。

当時はワープロでA41枚打ってアルバイトで2000円位もらえた。詳しくは→こちら

パソコンはプリンター込みで46万円ぐらいしたのだ。

朝霞のパソコン室にも30台ぐらいしかなかったが息子に聞いたら白山には数百台はあるそうだ。

息子に言っていることは、授業をみて師事したい先生を早く見つけろ。そして早くその先生のゼミに入れ。

それと英語の成績はトーイックで客観的に出るので定期的に受験して己の実力を知れ。

その2点だ。

付属上がりだから友だちも知り合いも多くいる。

それはある意味では利点だ。

とにかく4年間楽しめ。悔いは残すな。

それが息子であり後輩に贈る言葉だ。

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