先日恵比寿の東京都写真美術館で「俺たちのバイシクル・ロード」を観た
観ようと思ったきっかけは、日本テレビの「スッキリ」で紹介されたダイジェスト版を見たからだ。
うろ覚えだけどその番組内で、900日を超える旅を自分たちで撮ったビデオを元に作成された映画だと言っていたような。
そして回したビデオは900日超で60分か90分位だと。
旅をしたのは2005年に大学を卒業したばかりのジェイミーとベンの従兄弟同士。
飛行機には乗らない。移動は自転車。自転車で行けないところは船を利用するというモノだった
映画を観ての感想を言えば、ダイジェスト版で見たときほどの感動はなかった
旅の目的に初めからドキュメンタリーを撮ろうという考えがなかったからか。。。。
実際の旅の映像はパンクを修理している場面が多い!!
そりゃそうだよな。自転車乗りながらずっと撮り続けるなんてできないし。
本当にリアルな旅というのはこういうものなんだろう。
それは他人に伝えるための旅ではないのだから
ゴールしたときもお互いの家族だけが集まり(そのように見えた)
手作りの横断幕でゴールだった
これ日本だったらテレビが入り大勢の観衆を巻き込んだ一大イベントにするんだろうな
これで想い出されるのは、猿岩石のヒッチハイクの旅だ
もう有吉弘行の第1次全盛期知らない人の方が多いのか
念のためウィキペディアより引用すると
『進め!電波少年』ヒッチハイク時代
1996年4月、テレビ番組『進め!電波少年』の企画で「だまされて」香港に連れてこられた。
それに先立ち、内容を明かされないまま行われたオーディションには、バナナマン、劇団ひとりらを含む多くの芸人が参加しており、最終選考にはTIMも残っていた。
香港で告げられたのは「イギリスまでヒッチハイクで行け」だった。
そこから、旅が始まった。
猿岩石は「最初は、『いつでもリタイアできる、所詮はTV企画』という甘えがあった」と語っている。最初の頃は知名度の無さから低迷していたが、インドを過ぎた頃から人気が出始めた。
この企画で『電波少年』の人気は持ち直し、2003年まで続く事になった。2人は1996年10月に無事ロンドンにゴールした。
また、爆風スランプのボーカル、サンプラザ中野が歌った応援歌「旅人よ ?The Longest Journey」も発売され、これが評判になった。
さらに、ヒッチハイクの内実を記した書籍『猿岩石日記』もシリーズ累計で250万部のベストセラーになった。
その後、番組内のインタビューで「ロンドンに着いた後、スタッフから企画続行の選択をせまられ断った所、ものすごい形相で睨まれ、恐ろしかった。
あの頃のスタッフは無理やりにでも企画を続行させようとしていた。」と語っている。
当時のギャラは給料制であった。しかし、印税などの収入があったため、月収が最高2,000万円だった。
テレビの企画でやったこっちの方がよっぽど感動した自分がいた
企画に基づいてドキュメンタリーぽく撮ったこっちの方が魅せるという点では数段上だ
本当のドキュメンタリーって撮って魅せるというのは難しいのだろうな