私の先生、逝く。

これが答えだ

私の先生、逝く。
今日喪中葉書が届いた。

私の小学校5年6年の時の担任のS先生が亡くなったのを知った。

今年の年賀状を出したその1月に亡くなったようだ

知らなかった
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享年63歳。

私とは15違うことを初めて知った

ということは先生は当時26か7

若かったけど禿げていた。

先生に最期にお会いしたのは高校を卒業した3月だと思う

先生は浪人したクラスの4、5人+1を飲みに連れて行ってくれた(時効です)

呑兵衛の先生だったから1軒目に連れて行かれた店が小学校の隣の駅近くの飲べえ横丁にあった一軒家を改装した汚いお店だった。10代のあんちゃんが行くような店ではなかった。

2軒目はスナックに連れて行かれカラオケをした。(もうこの店はない)

先生は「酒と泪と男と女」を歌った

河島英五ももうこの世にいない

それからかな「酒と泪と男と女」を聴くと先生を想い出した。

最期に声を聞いたのは、5、6年前だろうか。

先生が故郷の福島県いわき市に帰ると葉書をもらったときだ。

電話をした。

何を話したか覚えていない。

覚えているのはその声が年相応に年輪を重ねたと感じたことだけだ

3.11の2週間後に大学の後輩がいる陸前高田に向かうときに途中で先生のところに寄っていこうか迷った。

→陸前高田レポート
当時のいわき市も大変な事になっていたからだ

時間的な余裕がなく断念したことが悔やまれる

確か翌年の年賀状に、「いわき市が大変な時に何も出来ず申し訳ない」そんなことを書き添えた。

先生は毎年の年賀状に必ず一筆自筆で書き添えてあった

今年の年賀状に何と書いてあったのか、年賀状を探し出せていないのでわからない。

今夜は先生を想い一杯やりました

先生、さよなら

私の先生、逝く。
最後に、私の名言ノートから亀井勝一郎の一文を

「出会は別離の始まりとさえ言われる。別離の情を知ることが人情を知るということだ。少なくともその一番痛切な面にふれるということだ。このとき、人ははじめて「もののあわれ」を知るだろう。人間の心に対して微妙であるように訓練されるだろう。喜びによって養われる感情も尊いが、悲しみによって養われる感情はさらに深い」

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