
清水一行の小説『器に非ず』を読んだ感想をお届けします。
本作は、本田技研工業の創業者・本田宗一郎と、副社長の藤沢武夫(作中では五十島、神山という仮名)をモデルにした企業小説です。
世間一般において、藤沢武夫という人物は「名参謀」「最強のNo.2」として広く知られています。本田がエンジン開発などの「技術」に没頭し、藤沢が財務・販売・経営戦略といった「実務」を全面的に引き受ける。本田は藤沢に会社の実印を預けるほど深く信頼し、この完璧な役割分担が世界的企業ホンダを創り上げました。
しかし、この小説が異色で面白いのは、神山(藤沢)を単なる「理想の裏方」としてではなく、「社長になりたくてしょうがない野心家」として生々しく描いている点です。
一方で、五十島(本田)の描かれ方は、私たちがよく知る奔放で魅力的な「オヤジ」のイメージそのままです。だからこそ、終盤で五十島が言い放つ言葉が非常に重く、残酷に響きます。
「俺の作りたいと思っているクルマをつくってくれる者だけが後継社長だ」
どれほど財務を立て直し、販売網を築き、会社を大きく成長させようとも、「技術屋」ではない彼には、入社したその日から社長になれる目はなかった。タイトルの『器に非ず』が示す現実がここに集約されています。
この本を読み終えた今、現実のホンダのニュースを見ると、なんとも言えない皮肉を感じずにはいられません。
ご存知の通り、「エンジンのホンダ」として世界を席巻した同社ですが、直近の2026年3月期の連結決算(国際会計基準)では、急激なEV(電気自動車)への傾斜とそれに伴う販売不振、戦略見直しによる巨額損失により、上場以来初となる最終赤字転落の見通しが報じられています。
「俺の作りたいクルマ(エンジン)」に極限までこだわった創業者と、その夢を現実のビジネスとして支えながらもトップにはなれなかった名参謀。そして時代は移り変わり、自らのアイデンティティであった「エンジン」から「EV」への転換で、かつてない試練を迎えている現在の姿。
企業にとって「本業の魂」とは何か、そして経営の舵取りがいかに難しいかを深く考えさせられる、非常にタイムリーな読書体験でした。企業分析やビジネスの歴史に興味がある方にも、ぜひおすすめしたい一冊です。

