竹内まりや 「人生の扉」について その2

家族

前に書いた→竹内まりや 「人生の扉」について
今日は父の命日だ

昨日弟とお墓参りをかねて大規模清掃というかリフォームした(本日も続く)

母は私が5つになる少し前に癌でこの世を去った

以来男手ひとつで私と弟を育ててくれた

父が四国のこんぴらさん(琴平町)近くの旅館で急死してから24年が経った。

私は今年48になる

つまり今年は人生で父がいた期間と父がいない期間が丁度24年と半分半分になった。

色んな意味で父の死は自分にとってのターニングポイントだ

紀元前、紀元後みたいな。。。

父が倒れたとき私はアメリカにいた

ちょうど休日で自分でサラダみたいなものをつくりバドワイザーで流し込もうとしていたときに弟から電話がかかってきた。

弟も丁度新卒で会社の研修で大阪から前日帰ってきたばかりだった。

「深夜にトイレで血を吐いて倒れたと。たぶん無理だと言われた」そんな電話だった。

それから10分くらいして死んだと連絡があった。

この時の弟の声は今も忘れられない

四国まで弟が迎えに行くことになった

その時私は弟に、「向こうで焼いてこい」と言った

冷たくなって声も発しない瞬きもしない父に会いたくはなかった

その後弟から、「親戚が遺体を自宅までもってこないなら兄貴を殺す」と言ってるといわれた。まあ当たり前なんだけど。

というわけで飛行機で父は自宅に戻ってきた

なんとか通夜が始まるまでには私も家に戻ることができた。

通夜の前に不思議な事があった

四国から宅配便で、骨董品というのか木製の船の帆が届いた。

これはその時は何だか分からなかった

親戚は死ぬときこの船の帆を握っていたんじゃないかなんていっていたがまあ普通に考えてありえない。

その後また宅配便が届いて理由がわかった

届いたのは木製の船の本体だった

2つを合わせると宝船になった

父はこんぴらさん近くで死んで宝船を送ってきた

なんか父らしいなと思った

竹内まりやは人生の扉で

They say it’s lovely to be 40

But I feel it’s nice to be 50  と歌ってる

私はそういう時間を生きている

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