死ぬということ 東洋大牛久高校 栗本剛先生に思うこと

これが答えだ

先週の金曜日の深夜にiPhoneアプリのSmartNewsでニュースを見ていた。

見出しだけ拾い読みしていたときだ

息子の高校名が目に飛び込んできた

元十両武哲山、東洋大牛久相撲部監督の栗本剛氏が急死

という記事だ。

栗本先生は息子の学年の学年主任だ

とにかくビックリした。

深夜だったんで翌朝息子を起こしに行ったときに、

「栗本先生のこと、知ってるか」と尋ねた。

息子は寝たままうなずいていた

私が栗本先生の姿を見たのはたぶん1度だけ。話したことはない。

入学前のガイダンスの時だった

学年主任の栗本先生の自己紹介で先生が元十両力士(武哲山)だということを知った。

スライドで力士時代の姿を見せていただいた。

これだけでも変わった先生だなと思った。

先生は大相撲引退後、筑波大の大学院に進学し縁あって東洋大牛久高校の教壇に立つことになったと話していた。

またその年の入学者数が555人(ゴーゴーゴー)で先生の名前が剛であり何か因縁を感じるみたいなことを話していたのを覚えている。

私は先生の話を聞いていて息子の担任になってくれたらいいなあと思っていた。

(学年主任は担任をもたない仕組みのようなので願いは叶わなかった)

なぜそう思ったかというと先生のウィキペディアを見ていただけばわかるのだが、

武哲山剛
栄光も挫折も、またそこからの復活もある人生だと思ったからだ

アマチュア横綱になった。しかし十両まではいったが幕内力士にはなれなかった。

そこから大学院に進学し高校教師になって相撲部を強豪校に育て上げた。

42歳で死ぬのは早すぎる。

しかしこれほど鮮やかな起承転結の人生はないと思う。

先生の人生をみても、起承転結の「転」をいかにするかだなあと思い知らされる

息子にとって人の死というのはそれほど身近なものではない。

彼が生まれてから親族で亡くなったものはいない。

息子は先生の死を知った後、久しく会っていない祖母に会いたくなったと言っていた。肩もみしてあげたいといっていた。

人の死というのは何かを考えさせるのだろう

今日がお通夜で明日が本葬

明日息子は最期のお別れをしてくると言っていた

栗本剛先生のご冥福をお祈りいたします

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